地球危機を日本生化学会は救えるか?

地球危機を日本生化学会は救えるか?

——自然と人間の調和を目指した生存科学と生存倫理を目指して——

名誉会員 御子柴 克彦

2004年10月13日から16日の4日間、パシフィコ横浜を会場として第77回日本生化学会大会が開催された。当時会員数12,500名でその学会の大会長を務めることができたことは大きな経験となった。多くの人と知り合いになれたことは大きな意味があった。一緒に大会運営に加わって下さった先生方に多大なご負担をおかけした。感謝の言葉しかない。

多くの学会があり各々学会の規模や目指す方向に合わせてユニークな大会開催を其々の方法で開催している。「大会」はその学会の目玉にもなるものでその運営の仕方は同じ学会でもその時代、構成員、委員会の方針により幾らでも変わりうる。

そこで振り返ってみることにする。開催にあたって、主催者としての哲学を具体的にするように大会を企画したつもりであり、“当時としては”日本生化学会を更に発展できるように思い切ったことをしたのではないかと考えている。その幾つかを紹介する。

「多様性、ユニークさ、オリジナリティ、クリエイティビティ、幅の広さ、若い人も年齢を重ねた人も参加したくなる大会であって欲しい」

生化学会のあの会場に行くと討論してくれる先輩や仲間が沢山いる。あるいは意見を聞ける先生方が沢山いらっしゃるという風潮を作りたいと思った。

プログラム委員会を日本生化学会の中に置く

プログラム構成にあたり新しい試みを導入した。その特徴はプログラム委員会を日本生化学会の中に置き、何年か先まで見据えたプログラム構成を行うことにした。

これにより独自性を出すシンポジウムやワークショップ等の選定と編成がやりやすくなり、より充実した大会になると考えた。まずシンポジウムはプログラム委員会が会員の皆様からの提案等を参考に、国内外の専門家による厳選した演題を編成することで参加された皆様が生化学の源流と新しい潮流を実感できるようにした。

各シンポジウムには外国人1〜2名を含めたトップクラスのものにして全て英語講演にして本大会が国際的に見えるように努めた。MacLennan博士(カルシウム動態を制御するリアノジン受容体)、Rothman博士(exocytosis and membrane trafficking)、Cantley博士(PI3 kinaseの発見者でその解析)らを特別講演に招待し、若手の育成と研究及び人的交流の充実を基調とした。これまでの生化学会大会のうちで過去最高の6500名の参加を得た。

「国際シンポジウム」の確立

これまで80以上もの日本語で行われていたシンポウム数を3分の1以下に減らし、各シンポジウムには外国からトップクラスの研究者を招待した。海外から総勢113名を招待しシンポジウムに入って頂き全て国際シンポジウムとした。英語で発信することに少しでも慣れて国際的に太刀打ちする為のトレーニングの場とし、更に発表した内容を世界へ発信する為であった。

「若手育成の為の場」としての日本生化学会大会

発表が母国語できちんと正確に発表できることが基本であり、それができた後に英語で発表すれば良いと私は考えている。その為に日本語できちんとした発表ができる場として、発表は日本語にした。但しスライドは全て英語で記載することにしていた為、海外からの招待者も参加して熱心にスライドを見て質問する場面も多く見られた。

学生、大学院生を含めて2637名の参加でこれも当時の生化学会では史上最高だった。学生が多くの先生方から質問を受け緊張しながら答えている場面は微笑ましかった。今回参加した学生は大変面白かった、来年は若い学生を連れて来たいという声が聞こえた。学生の参加に伴って、各ポスターには多くの人が集まり熱心に討議をしており、熱気にあふれていた。

口頭発表を大幅に増加

プログラム編集委員会で口頭発表(日本語)を大幅に増やした。口頭発表をテーマ別にまとめてワークショップとして設けた。できるだけ多くの若い研究者や大学院生の会員に口頭で発表して頂く機会を大幅に増やした。この10年程ポスターにばかり慣れて発表がきちんとできない学生が多くなった為、トレーニングも兼ねた。至る所で緊張しながらも発表の為の練習をしている次世代を担う若い人たちの姿は微笑ましいものであった。

登録費、参加費、懇親会費を大幅に低くした

開催者側として資金を集める努力をした。事前登録費を院生は2千円、学生は無料とし、懇親会費も思い切って実質1万円を2千円としたことも若手を惹きつけた一因であろう。美味しい料理を安く提供し、若手から年配まで会員の人的交流がより活発となるように心がけた。大会の開催にあたり日本製薬団体連合会をはじめとして助成財団より多大なご援助を頂いた。

企業からのサポートを積極的に推進

企業からのサポートによるブースの数は450以上と、皆で声がけを行った結果多くなった。機器展示も増え、ランチョンセミナーも過去最大の20になった。

「マスターズレクチャー」「モーニングレクチャー」などの特別な講演の企画

また例年好評な生命科学分野で顕著な業績を上げられた先生による「マスターズレクチャー」と専門家による「モーニングレクチャー」なども企画した。ノーベル賞を受賞され、日本学士員客員に就任されたArthur Kornberg先生に、また早石修先生にもマスターズレクチャーをお願いした。一般演題2303演題(ワークショップ901演題)及び24テーマについてのシンポジウムを開催した。

日本生化学会の生命科学へのこれまでの貢献

日本生化学会は日本の中心的な学会の一つとして生命科学の発展に貢献してきたことは明らかであると私は考える。その方法論は当初はデカルトの要素還元論的な方向が中心ではあったが俯瞰的な統合論な解析をも含めて進めてきた重厚な研究者層を持つ日本生化学会の貢献は評価すべきと考える。

さて、国際的に大きく認知されている日本生化学会の果たす役割は今までのもののみで十分であっただろうか? 私は現在の学会の構成員と実力を考えて十分に大きく展開する力があると考えている。次の項で現在私達が対応しなければならない課題について述べていく。

人類、地球の危機——ライフサイエンスの進展による地球環境の破壊

——日本生化学会の置かれている重要な立場を理解しよう——

さてもう一度現在私達が置かれている環境を考えてみる。現在進めているライフサイエンスの研究の進展は我々の予想を遥かに超えており、このまま続けていくと地球環境も含めて人間の存在そのものが脅かされる(表1参照)。

表1 ライフサイエンス研究の予想を超えた発展による人類、地球の危機——生命科学の発展の功罪——5)

科学技術の脅威 光と影と闇
 
エネルギー:物質はエネルギー、原子エネルギーの平和利用と原子爆弾
ダイナマイト:建設、土木工事、爆弾、戦争の武器
宇宙、巨大宇宙プロジェクト:宇宙開発、宇宙ステーション、宇宙基地
緑化:植物と動物、CO2-O2関連、超高音速ジェット機(コンコルド)によるアマゾンの森林破壊
海洋:海洋汚染、魚の汚染、微粒子プラスチック
CO2:海洋中のCO2蓄積量
プラスチック:ペットボトル、地球の汚染
ゲノムプロジェクト、遺伝子、ウイルス:遺伝子改変、感染性の制御…毒性の除去、強毒株の産生など自由な変換
気候変動、地球温暖化、食糧危機、国家間の戦争勃発

地球上に生育する生物は人類だけではない。進化の過程で多くの生物が生まれ、その一つとして人間が出てきた。ライフサイエンスの急激な進歩を踏まえ、人間という生物が、他の生物と共存しながら、地球、世界、地域で、自然環境に囲まれ、豊かに生存することが必須な状況になってきている。

人間という生物が生まれ育った「地球の存続」を考えながら、他の生物といかに共存していくかについて人類の「生存」を正面から採り上げざるを得ず、既存の科学方法論に拘泥する限り、この状況に対応できないことは明白である。そのために、全ての科学は、「生存」問題を前にして古典的な閉鎖的枠組みを変える必要があるだろう。自然科学と社会科学という区別すらもなくして──医学、物理学、化学、工学などはもちろんのこと、経済学、法律学、政治学なども含めて──あらゆる領域から総合的に「生存」問題に取り組まざるを得ない状況である(武見太郎博士による「生存科学」の提唱1-3、 5)。

われわれは人類の「生存」という概念を起点とし、科学技術を中心に社会科学、哲学などあらゆる学問の成果を結集して「生存」の形態・機能をマクロ・ミクロの両面から探求し、それらを総合的に把握する新しい「生存科学」を創造・確立することが必要と考えられる。そして、このような生存科学の裏付けがあってこそ、初めて未来の人類の生存秩序の確立と福祉の実現が可能となると考えられる3-5)。生化学会の活動はあらゆる意味で「生存」に関わっている。日本生化学会が大きく動いても良いと思う。

武見博士は「生存の理法」に基づく「生存科学」の重要性について述べている。博士は、慶應大学医学部で医学を、理研で物理学(仁科芳雄)を学ばれ日本医師会長を務められた。武見博士はハーバード大学で「武見講座」を開設されて生存科学を強く発信されてその活動は現在も生存科学研究所1)、武見基金2)として継続されている。

それに加えて地球上は国家間の争い、宗教間の対立に基づく戦争などまさに混沌といえる状況になりいつ地球が破滅するかは予断を許さない。

これからは「バイオエシックス」(生存倫理)を包含する「生存科学」という新しいパラダイムの下での研究が必要となるように考える。

科学者は実験により生命の真実を知ることができる。しかし科学者は興味のみの研究は許されず、その発見や開発した技術に何かリスクがありそうな場合はそのリスクに対して責任を持ち、必要に応じては止めなければいけないことも考えておくようにしたい。

この遂行には知識、信頼、責任(special responsibility)、福祉、幸福、自由(freedom)、倫理がキイワードになるだろう。個人の責任(special responsibility)を伴うことになることをこれから理解する必要があるだろう。

人間という生物が、他の生物と共存しながら、地球、世界、各国、地域で、自然環境に囲まれ、社会・歴史・文化をもって、豊かに生存する基盤とは何か、日本から発信された生存科学という概念を具体的なものにするとの願いを日本生化学会の皆様と共有したいと思う。そして日本生化学会は人類の危機を救う為に、生存倫理(バイオエシクス)の確立を主導しながら世界へ発信することを考えても良いだろう。

世界中が右往左往している。これまで培ってきた業績から見て必ず「日本生化学会」が主導して今の困難に答えを出せると思う。皆で知恵を出し合おう。

(上海科技大学免疫化学研究所教授、東京大学名誉教授、慶應義塾大学医学部客員教授)

生化学会役職歴

1995年・1996年度 常務理事
1996年度 各種授賞等選考委員会委員長
2003年・2004年度 常務理事
2004年度 第77回日本生化学会大会会頭

参考資料

  1. 公益財団法人生存科学研究所(The Institute of Seizon and Life Sciences) http://seizonken。com
  2. 公益信託武見記念生存科学研究基金 http://takemiseizon。com
  3. 青木清、江見康一、香川保一、小泉英明 (2003) 生存の理法をめぐって――武見先生の人と思想――。生存科学 14A、 3-27。
  4. 小泉英明(2004)「生存の理法」を巡って(I)―物質と生命―(特集=生存科学と武見太郎)。 生存科学 14B、 107-128。
  5. 御子柴克彦(2024)「生存科学」:人間の理解から生存倫理へ(特集=生存科学の豊かな可能性─人間・社会・自然・歴史の総合学)。 生存科学、 34(2)、 47-68。