若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-

「見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。」京都大学ウイルス研究所
豊島文子

h23_3 金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」と題する詩にある上記の文句は、私の座右の銘です。今回の生化学会奨励賞を頂くことになった「細胞分裂軸」の研究は、まさにこの言葉を発端としています。私がこの研究を始めたのは8年ほど前ですが、その頃の細胞分裂軸の研究は、線虫や酵母、ハエといった遺伝学的解析のできるモデル生物を用いて特に非対称分裂を中心に進められていました。私は大学院生の時からずっとHeLa細胞を用いて細胞周期の研究をしていたのですが、HeLa細胞は簡単に細胞周期を分裂期に同調できるし、siRNAも効率良く効くし、世界中で使われている細胞だし、何とかしてHeLa細胞を使って分裂軸の解析が出来ないものかと思っていました。しかしながらHeLa細胞は極性がありませんし、非対称分裂もしないので、この細胞の分裂軸に方向性はあるのかしら?どうみたら良いのかしら?と日々顕微鏡を覗き込んでは首を傾げながら分裂期紡錘体を眺めていました。

 ある時、ダメを承知で何らかの遺伝子(EB1だったように思います)をsiRNAでノックダウンすると、それまで紡錘体の両極は必ず同時にフォーカスがあっていたものが、どうもフォーカスがずれる、つまり通常の細胞では紡錘体は細胞ー細胞外基質面に平行になるが、EB1をノックダウンするとZ軸に沿って傾くことに気が付きました。その時、私の脳裏にすぐに浮かんだのが上記の金子さんの詩のフレーズです。「ああ、私は何て盲目だったのだろう。」と顕微鏡の暗室で一人卒然としました。もともと中学の時から空間図形は苦手だったのですが、それにしてもこれほど毎日顕微鏡を覗いていながら、こんな簡単な方向性の存在に気がつかなかったとは、と自分を情けなく思いました。一度「見える目」を持つと、あとは分子機構の解析を楽しく進め、細胞接着やリン脂質の重要性などの新規機構の存在を明らかにすることが出来ました。細胞周期の研究から細胞分裂軸の研究に移行するまでの約3年間、ほとんどデータらしいものが出ておらず、私は完全にスランプに陥っていました。この間、私がラビリンスに入り込んで陳腐な実験に取り組もうとする度に一生懸命引きとめて下さり、また分裂軸の方向性から研究の方向性を見出すまで根気よく待って下さった恩師の西田先生には感謝の念がつきません。

 細胞分裂軸の研究は、これからが本番です。HeLa細胞の簡単な系を利用してsiRNAライブラリーによるスクリーニングを行えば、新期の分裂軸制御因子を同定できます。これをマウスで解析すれば、これまで難しかった哺乳類発生過程における分裂軸の分子機構や組織構築における役割を明らかにすることが出来ます。また面白いことにスクリーニングの結果、どうやら分裂軸の決定には代謝制御が絡んでいることも分かってきました。ですので、私の研究室のメンバーは今更ながら「ストライヤーの生化学」や「ボートの生化学」を紐解いては代謝マップを頭に叩き込んでいます。今まさに生化学、細胞生物学、発生生物学の融合が必要であることは、最近のがん研究の動向を見ても明らかです。この融合過程には沢山の「見えぬけれどもある」ものたちがきっと存在しています。彼らを見いだせる目を持つよう努め、彼らを「見えるものたち」にするよう日々精進していきたいと願います。