若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-

路傍の花大阪大学大学院理学研究科
石水 毅

h23_1 生命の基本現象の神秘を化学で見てみたい、という漠然とした思いを抱き、学部4年生の時に、阪大蛋白研の崎山文夫先生の研究室に入室しました。データに高い質を求められる厳しい研究室でした。修士2年に上がる頃に与えられたテーマが「植物自家不和合性の分子機構の解明」。植物の受精なんて特殊な生命現象の一つに過ぎないとか、この研究でタンパク質の分子認識の一般原理までたどりついてみたいとか、勝手に思ったことを思い出します。科学研究の広大な荒野の上に立ったものの、片隅の細い道を歩き始めた、というイメージでした。ともかく自家不和合性に関わるS-RNaseの同定、精製、化学構造解析と生化学研究を進めました。担当の乗岡茂巳先生が私の性質を知ってか、放任してくださったのが幸いして、実験を独自にデザインすることを覚え、研究が楽しくなり始めました。そこでS-RNaseの糖ペプチド断片の質量分析から、N-結合型糖鎖にN-,N’-ジアセチルキトビオースがあることを発見します。N-結合型糖鎖の最小単位がトリマンノシルコア構造であるという常識が邪魔をして、当初は質量をアサインできずに困っていました。発見には固定観念を脱ぎ捨てる必要がありますが、その難しさを体験した一コマです。阪大理学部の長谷純宏先生のご指導を仰ぎ、糖鎖の蛍光標識法を用いてキトビオース構造を確かめました。道半ばだけれど、歩んだ道の傍らに可憐な一輪の花(路傍の花)を見つけた、という発見です。

 その後、長谷先生の研究室の助手に採用され、この一輪の花の周りを歩き始めます。キトビオースを生成し得る酵素の探索です。学生と一緒に失敗を重ねながら、4年間に渡る基質選び、酵素精製の末(これぞ生化学の泥臭さ)、エンド-β-マンノシダーゼを発見します。この酵素の基質特異性がユニークで、既知の別酵素の基質特異性と相補的になっていて、パズルのピースが埋まるように、植物N-結合型糖鎖の分解経路の全体像が表れました。最初に見つけた一輪の可憐な花の周りに別の花があったのです。次いで、エンド-β-マンノシダーゼが探し求められていた植物細胞壁を分解するα1,2-フコシダーゼと複合体を形成していることを見つけます。また別の花を見つけたわけです。さらにエンド-β-マンノシダーゼ遺伝子の発現制御植物体を解析すると、どうも単純に解釈できない現象が起こっています。糖鎖分解の機能以外の、当初望んだ生命の基本現象的なことが見つかる予感がしています。まだ周りに花がありそうです。今回の受賞対象の研究の過程を振り返ると、路傍の花を見つけ、それが一面の美しい花の群れの一輪にすぎなかったと知る過程だったように思えます。

 「路傍の花」。独創的な研究の芽を指して、江上不二夫先生が、阪大蛋白研においては佐藤了先生が、よく語られていた言葉だと聞いています。阪大理学部では長谷純宏先生からよく聞いた言葉です。阪大蛋白研・理学部には、人を惹きつけるおもしろい研究だけでなく、路傍の花(雑草ではダメなのですが)を見つけたような研究も良しとする雰囲気がありました。阪大生化学の伝統なのだと思いますが、誰も手をつけていない研究をやれ、と幾度となく言われました。こういう雰囲気の故だったのだと思います。主流になった太い道を行く研究は言うまでもなく面白い。細い道の研究は困難が多く、最初は面白みに欠けるけれど、花に出会うという研究の醍醐味を味わえる確率が高く、それは面白い。路傍の花が見えたら、その花のかすかな香りをたよりに一面の花の群れに出会うことも、つまり、生命の基本現象を解き明かすこともあるのだ。そんなふうに思うようになりました。(大学院生への語りかけということで、何かしらの参考になればと思い、体験談を書かせていただきました。)

 最後になりましたが、このような研究環境を与えてくださったこと、花を見つける科学研究の醍醐味を経験させてくださったことに、長谷先生をはじめ、指導してくださった先生方に、この場をお借りして感謝申し上げます。そして一緒に研究を行った学生の皆さんの力添えに感謝申し上げます。奨励賞受賞はたいへん光栄ですが、身の引き締まる思いでおります。目的地に向かって道を歩む研究だけでなく、この路傍の花を見つけた感覚を忘れずに、一輪でも花に出会ったときに味わえる研究者特有の満足感を大学院生に伝えていくことにも微力を注ぎながら、教育・研究に邁進して行きたいと決意新たにしております。