若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-
知りたいという駆動力公益財団法人東京都医学総合研究所
山野 晃史
大学生の私は、生物学に関して全くの無知であった。化学は新しい材料を作り出して社会を豊かにできるし、物理学は普遍的原理を追求する崇高な学問だが、生物学は受験のための暗記科目としか印象がない。それを学んでどんな面白みがあるのかと、そう思っていた。のちにミトコンドリアを研究する生物学研究者になるわけであるが、当時はミトコンドリアがミドリムシの仲間だと思う程度には無知であった。
全ての始まりは、後に師事する遠藤斗志也教授の講義を追試になったことだった。生命現象について真剣に勉強するようになると、たちまちその奥深さに魅了された。まるで誰かの意志にコントロールされているかのような生体システムの巧妙さを前に完敗し、その勢いのまま、大学4回生で遠藤斗志也研究室に所属することになった。初めて行なう実験は驚きの連続だった。例えば、ミトコンドリア前駆体タンパク質を合成したウサギ網状赤血球のライセートと酵母から単離したミトコンドリアをエッペン中で混ぜると、膜透過反応が再構成できる。細胞内で起こる、タンパク質のミトコンドリア移行という生命現象を、手に持つエッペンの中で再現することができるのだ。すごい、純粋にそう思った。そのうちに自分で実験して生命現象の分子メカニズムに迫れることに「楽しみ」を覚え始め、日々、論文を片手に実験に勤しんだ。その当時はミトコンドリア膜透過に関わる新規因子が続々と報告された時期でもあり、刺激的な研究生活のスタートであった。Parkinが膜電位の消失した損傷ミトコンドリアに選択的に局在化する論文を読んだ時も、なぜそんなことが起こるのか非常に不思議に思った。そのメカニズムを明らかにしたい一心で、アメリカNIHのRichard Youle研究室に留学を決めた。こうして振り返ると、生物や研究に対する自分の大きな駆動力となったのは「知りたい」という強い思いであったと思う。
年齢が上がるにつれ、純粋な実験時間が減る、今日この頃ではあるが、自分への戒めも兼ねて、理想とする研究姿勢を述べたい。まず、生命現象の謎にメスを入れること自体、誰にでもできるものではないことを常に意識していたい。私たちが観察・解析している現象は、細胞が同時並行している数万以上の反応の一つに過ぎないにも関わらず、各反応がもれなく実に精巧に設計されている。このような反応を実際に目にし、驚き、考え、謎を解く、これは研究者の特権であり、託された使命である。また、現代の私が50年前の論文に数クリックでたどり着くことができるように、自分がこの世からいなくなった100年後も自分の研究成果は生き続ける。特に基礎研究に関しては、今すぐに社会の役に立つことは少ないかもしれないが、私やあなたの研究成果は未来永劫に人類の財産として、誰かの「知りたい」に対するアンサーになり続けるのである。だからこそ、自分自身が「楽しむ」ことと「知りたい」という探求心を忘れないでいたい。
山野 晃史 氏 略歴
2004年 名古屋大学理学部化学科 卒業
2009年 名古屋大学大学院理学研究科 博士過程修了 博士(理学)
2011年 日本学術振興会海外特別研究員(米国NIH)
2013年 米国NIH ポスドク研究員
2014年 (公財)東京都医学総合研究所 主任研究員
2017年 (公財)東京都医学総合研究所 主席研究員