若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-
天命を信じて人事を尽くす京都大学大学院理学研究科
蜷川 暁
自分の研究者としてのアイデンティティー、メンタルを形成しているのは「ノーベル賞とるぞー」と言っていたらしい奇抜な父と、私の研究生活を終始ご指導していただいている森先生が大きく、それらの点を含めて書かせて頂きます。
父を尊敬していたので、自分も漠然と父と同じく大学の先生になりたいと思っていました。しかし大学ではサッカー漬けの日々を送って数学に挫折した結果、生物系へ進みました。生物の知識もなく3回生後期に研究室配属もなかなか決まらないところを森先生が拾ってくださりました。それから研究を始めるとなるも、幼少期からの父の「研究とはなんぞや!?」という教えが正しいような正しくないようなことで「教授の言うことは信じるな」「他人と違うことをしろ」「0時回ってから帰るのが研究者」、これらが否応無く身に沁みついていました。ですので、今思うと勉強不足の上にかなり尖っていて周りの方々からすれば扱いにくかったのかと感じます。
修士、博士課程での研究は、自分の要望もあって、森研の主軸テーマとは違う小胞体関連分解に取り組みました。新規結合分子を同定でき、それで学振も通ったりしていたのですが、その後、微妙な結果ばかりでなかなか論文化できるような結果が得られていませんでした。そして博士課程の3回生、学位を取るべき年度の春に「より強力にサイエンスを前進させられる遺伝子破壊法を用いよう」というラボの大きな指針の下、それまでのデータはすべてお蔵入りしました。当該分野も、当時混沌としており、将来に残る結果を出すためのサイエンスをやろうという指針は秀逸であるものの、時期としてそれまでの結果を放棄するには、私のメンタル的には厳しく「研究には縁がなかった。やるだけやった。」と心折れていました。ただAaron Ciechanover博士の講演で「某有名教授が質問したことと同じこと考えられたぞ。」などという小さなことで、「研究者としてやっていけないことはないはずなんだ。」と自らを恃みながら、なんとか精神的安定を保っていました。そのころ研究者以外の道も多く考えるようになっていましたが、博士論文は書きたく、うまくいけば論文にさらに付加できるかなという実験をやっていると、実験法の変更が良く遺伝子破壊法を用いたために意外なバンドシフトに気がつくことが出来ました。その後、ゲノム編集法で同様の表現型が出るパートナー分子の解析をしたグループは、バンドシフトに気がつけておらず、自身にかなりのセレンディピティが起こったように感じます。これを端として、分野を大きく前進させるような小胞体でのN型糖鎖のマンノーストリミング機構の新規モデルを提案することができました。実験系が良いため旧モデルを支持する対立グループからの批判にも一切揺らぐことなく、自身のモデルを信じて、その後も新規モデル確立への論文を出すことが出来ました。これらが現在も研究を続けられる結果と心の礎、そしてこの格式高い生化学会奨励賞を受賞することにつながりました。この場を借りて森先生、助教の岡田先生、ExCELLSの加藤先生はじめ私が研究において携わった研究者の方々に心より感謝したいと思います。
過去に森先生は、ご自身の苦労と成功の両面を表すような、そして研究者の持つべきメンタリティがculminateした「天命を信じて人事を尽くす」という至言を私に向けておっしゃってくださりました。自身の上記エピソードでは、これをうまく体現できたとは思っていません。この歳で「父離れ」ではないですが、教授の「信じられる」この言葉を銘肝して、さらなる研鑽を積み研究に邁進していこうと思う次第です。
蜷川 暁 氏 略歴
2000年 岡山県立岡山一宮高等学校卒業
2005年 京都大学 理学部 卒業
2007年 京都大学大学院 理学研究科 修士課程 修了
2011年 京都大学大学院 博士 (理学)
2011年 京都大学大学院 理学研究科 特定研究員
2014年 岡崎統合バイオサイエンスセンター 特定研究員
2015年 京都大学大学院 理学研究科 特定研究員
2018年 京都大学大学院 理学研究科 特定助教