若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-

セレンディピティを引き寄せ,そして逃さない行動力を徳島大学 大学院医歯薬学研究部
渡邊 謙吾

 この度は日本生化学会奨励賞という歴史ある名誉な賞を頂きまして大変光栄です.受賞理由の「液−液相分離による浸透圧ストレス感知機構」に関する研究は多くの方々のおかげで成し得たものであり,特に恩師の一條秀憲先生・名黒功先生,そして共に実験を行ってくれた森下和浩さんに心より感謝申し上げます.本記事では,特に学部生や院生の皆さんに向けて,本研究の経緯と教訓を共有したいと思います.

 本研究のきっかけはASK3というキナーゼの細胞内局在変化の観察結果で,実は一條研では20年近く前に発見されていました.非常に劇的な現象だったので「何か意味があるだろう」と発見当初から予想され,2009年に一條研の門を叩いた私は最初のテーマとしてこの現象解明に取り組みました.しかし,現象の意義が不明のまま外堀を埋める実験しかできず,私のメインテーマもASK3の活性制御機構といった典型的なキナーゼ研究に変更したため,結局お蔵入りとなりました.その後の私は,ゲノムワイドsiRNAスクリーニングを実施してASK3の活性制御機構の一端を解明できたものの,ASK3の局在変化の現象が常に心残りでした.

 時は流れて2017年頃,相分離研究がCNS (Cell・Nature・Science) に相次いで報告され始めたことで,私はASK3の局在変化も相分離による現象ではないかと閃きました.また,相分離の論文を読み漁るとRNAによる相分離制御が多く報告されていました.ここで当時は前述のスクリーニング結果から苦労してポリADPリボースのASK3活性制御への関与を突き止めた頃でもあり,改めて生化学の視点で捉えると,ポリADPリボースはアデノシン・リン酸・リボースで構成される点でRNAと物理化学的性質が似ていることに気付きました.こうしてASK3の局在変化と活性制御が相分離とポリADPリボースというピースで綺麗に繋がるストーリーが浮かび上がり,後は実験をすれば“ポジ”ばかり出るといった,ストーリーが真実である際に特有の研究フェーズへと突入しました.

 さらに,相分離の数理モデルに関する論文をラボ内の抄読会で紹介したところ,私のグループの学生だった森下さんが「論文のモデルを趣味で実装してみたんですけど…」と持って来てくれました.そこで本研究にも応用できないかと真面目に検討を始め,改良モデルの開発に至り,最終的にASK3という一分子の研究ではなく普遍的な現象を提唱する研究になりました.

 このように本研究は多くの幸運が重なっていて,セレンディピティの好例だと言えます.ただ,振り返ってみると,単なる偶然の賜物ではなく私の2種類の行動力が重要だったと思います.

 1つ目は好機を逃さない行動力です.私はストーリーの発想を得ると直ちに大量の実験を行いました.例えば,ポリADPリボースの結合部位候補がASK3に10個存在しましたが,「10個程度なら全て調べてまえ」とゴリ押しで全ての変異体を作って実験しました.一昔前の生化学ラボなら変哲もない戦略ですが,最近の学生さんはスマートに研究を進めたがるようで,当時も後輩から“引かれた”覚えがあります.しかし,効率化したいと考えて結局停滞する学生さんを目にすることも事実で,泥臭くても形振り構わず“女神の前髪”を掴む行動力・突破力は重要だと思います.(余談ですが一條研にはゴリ押しで200個近くの変異体を作製した先輩がいました.)

 2つ目は幸運を引き寄せる行動力です.本研究は幅広い生命科学分野で相分離が着目され始めた黎明期に報告できる幸運に恵まれましたが,初期の相分離研究は一條研の主要分野から離れた分野の研究でした.しかし私はトップジャーナルの論文には分野外でも目を通すようにしていたため,いち早く相分離の将来性を察知できました.また,私は博士課程の夏に米国やスイスで計算生物学やバイオインフォマティクスを学んでいました.これはいわゆる“dry”研究に興味があったため,自身の研究テーマとは無関係に(外部奨学金も獲って)行った自発的な短期留学です.ただ,この経験があったからこそ,典型的な“wet”ラボにも関わらず抄読会で数理モデルを紹介したり,森下さんの“趣味”を軽視せずに改良モデルを開発したりするに至った訳です.これらのケースに共通するのは,様々なことに興味を持って視野を広げようとする私の行動習慣です.結果論かつ陳腐な教訓かもしれませんが,たとえ自身の研究・目前の目標達成に無関係に思えても,能動的に新しいことをする行動力・挑戦力が重要だと思います.

 なお,以上2つの行動指針は研究だけでなくキャリアにおいても重要だと思います.私はゴリゴリの“wet”研究者だったにもかかわらず,ポスドク留学ではピペットマンすら握らない完全に“dry”の研究分野へと飛び込みました.本研究で成果をあげつつあった特任助教という立場を捨て,ゼロからポスドクとして学び直す形なので,傍から見ると大胆な行動に映ったと思います.しかし結果として,ユニークな人材として評価していただき,自身のラボを構えるに至っています.

 最後に,現在私は機械学習やシステム生物学を用いた医学研究に取り組んでいて,典型的な生化学からは少々離れていますが,生化学を自身の基盤としたことは正解だったと日々感じます.実は,私は修士修了後に“dry”分野への博士留学を検討したのですが,一條先生から「この時点で“dry”研究へ進んで中途半端な研究者になると勿体ないので,博士までは生化学を究めなさい」と大局的な視点からご助言を頂き,一條研で10年間生化学研究に没頭しました.実際,データサイエンスは応用指向が強いので生命現象の理解が軽視されがちですが,やはり生命に関して研究する上で生化学の知識・思想は欠かせず,分野が変わっても生化学の基盤が私の強みになっています.読者の中には生化学分野で研究し続けることにキャリア形成上での不安を感じている方もいるかと想像しますが,本記事が励みになれば幸いです.

 

 

渡邊 謙吾 氏 略歴
【学歴】
2006年3月:東京都立西高等学校 普通科 卒業
2010年3月:東京大学 薬学部 薬科学科 卒業
2012年3月:東京大学 大学院薬学系研究科 薬科学専攻 (修士課程) 修了
2012年8月:Cold Spring Harbor Laboratory, Computational Cell Biologyコース 修了
2015年3月:東京大学 大学院薬学系研究科 薬科学専攻 (博士課程) 修了
【職歴】
2012年4月–2015年3月:東京大学 ライフイノベーションを先導するリーダー養成プログラム — コース生
2013年6月–2013年8月:École Polytechnique Fédérale de Lausanne, School of Life Science — インターン生
2014年4月–2016年3月:東京大学 大学院薬学系研究科 — 日本学術振興会 特別研究員 (DC2/PD)
2016年4月–2019年11月:東京大学 大学院薬学系研究科 — 特任助教
2019年11月–2020年11月:Institute for Systems Biology — Visiting Scientist
2020年12月–2021年11月:Institute for Systems Biology — Postdoctoral Fellow
2021年12月–2024年11月:Institute for Systems Biology — K. Carole Ellison Fellow in Bioinformatics
2024年12月–現在:徳島大学 大学院医歯薬学研究部 メディカルAIデータサイエンス分野 — 教授