若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-

あなたの知らない世界東京大学薬学系研究科
名黒 功

 大学院生の時、パッチクランプ法を使って心筋のL型Ca2+チャネルについて研究していた私は、「いま測定しているCa2+が細胞に入った後、細胞内で何が起こるのだろう?」とふと思いました。もちろん、心筋なので筋収縮や、遺伝子発現を起こすことは教科書的には知っていました。しかし、これらは自分で発見したわけではありませんし、人間がまだ知らない他のことも起きているかもしれません。細胞に変化が起こった際に何らかの応答を引き起こす未解明のシステム、つまり新しいシグナル伝達の研究に興味を持ったのはこんなきっかけだったと思います。

 博士課程修了後、運良く一條教授の研究室でシグナル伝達の研究をする機会を得た私は、今回生化学会奨励賞を頂いたテーマの中心となるASK3という分子と出会います。当時、機能は何も分かっておらず、アミノ酸相同性だけを手がかりに同定された新しいキナーゼでした。ASK3の解析というテーマに向き合った時、院生時代の研究とは関係ない新しいことをするのだなと勝手に思っていました。しかし、解析してみるとASK3は浸透圧ストレスに応答する。これは、チャネルなども関与し、細胞内外のイオン濃度が変化するストレスです。「おお、細胞のイオンの出入りならある程度知っているぞ!」と思いました。さらに、L型Ca2+チャネルの研究をしていると必ず勉強する血圧制御にもASK3は関わるではないですか。これは運命的だな、という気分になりました。

 しかし、実はこの考え方は順番が逆なのです。恐らく研究方針が無意識に経験に影響を受けていたのです。チャネルを知っていたからイオンが変化するストレスを深く解析してみる。血圧の測定方法を知っていたからASK3ノックアウトマウスの血圧を実際に測ってみるという具合に。研究者はそれまでの経験により、研究方針にバイアスがかかります(前のテーマと敢えて違うことをする場合も含めて)。それがその人のカラーであり、センスであり、巡り合わせになる。院生時代、その時は私のまだ知らない世界で役に立つバイアスが自然に醸成されていたようです。

 ASK3の解析を始めた時は分子が新しいだけで満足でした。しかし、“新しさ”はもの自体ではなく、その捉えかた、見せかたに宿り、これこそが研究者の腕の見せどころです。特に若い人は、いま目の前にある研究テーマに向かって本気で相手をすれば、見えている世界だけでなく、あなたのまだ知らない世界にその腕力が蓄えられます。こんなことやっていていいのか?と中途半端に不安になるのは勿体ない。“やるからには本気で”は私の大切なモットーになっています。きっとまだ知らない世界でも役立つ力になるはずだから。これまで私とめぐり会い、いま持つ独自のバイアスを共に育んで下さった全ての方々に心から感謝し、これからも真摯に研究を続けていきたいと思っています。

 

名黒 功 氏 略歴
2000年  東京大学 薬学部 卒業
2005年  東京大学大学院 薬学系研究科 博士課程修了
2005年  東京大学大学院 薬学系研究科 助教
2013年  同 講師
2016年~   同 准教授