日本生化学会会員のみなさん、

 

 今号では、学術論文にかかわる不正とはどんなことを意味するのか、そしてそれをなくすことが可能なのかを考えます。

 

学術論文での科学上の不正(scientific misconduct, scientific fraud)は、ねつ造(fabrication)、改ざん(falsification)、盗用(plagiarism)の3種類に分類されます。許容範囲を越えた“データの加工”と“既存記述の再使用”は、それぞれ改ざんと盗用にあたります。なお、自分のデータや記述を複数の論文で使うことは自己盗用(self-plagiarism)とされます。論文のねつ造については、研究自体が完全な作り話だった「Mark Spector氏によるATPaseの実験」が有名です。1980年代の初めに、“ATPaseの活性化に関わるタンパク質リン酸化カスケード”を報じる複数の論文がごく短期間のうちにJ. Biol. Chem.に掲載されました。当時大学院生であった私は、その論旨とデータの明快さに感心したことを記憶します。

大学を含む研究機関に対して、論文不正を防ぐ手段を講じるよう国が強く指導しています。そのひとつが、“コピー&ペースト”の存在を調べるコンピューターアプリケーションの導入です。これを使うと、調査対象論文に占める既存記述の割合がたちどころに算出されます。しかし、その数値に基づいて「不正」の有無を判定することは難しく、効果のほどはまだわかりません。なお、私たちのJBでも投稿された論文原稿の審査にあたりこの作業がすでに実施されています。国からの不正防止の指導は教育面にも及び、Collaborative Institutional Training Initiative(CITI)などの教育プログラムを使う授業の実施が推奨されています。CITIは医療倫理を学ぶ教材を開発し提供する機関として2000年に米国で組織されたもので、その後に対象が研究全般に広げられました。2013年にはCITI Japan Program(http://www.jusmec.org/defaultjapan.asp?language=japanese)が設立され、この組織が提供するeラーニング教材を使って研究倫理の授業を行う大学が増えています。

 

学術論文には、上記の「不正」とは別に“実験結果の再現性”という課題があります。ある期間に発表された生物医学分野の論文を調べてみると、結果が再現されたものは1割ほどに過ぎなかったという報告があります。論文として公にされる実験結果は、著者によって再現性が確認されているはずです。しかし、ほとんどの場合、それは著者が所属する研究室内で繰返し得られた結果であることを意味し、必ずしも他の研究者による再現実験が実施されている訳ではありません。真の意味での再現性を保証するためには、投稿前に第三者が追試実験を行う必要があります。これを実現するために、Reproducibility Initiative(http://validation.scienceexchange.com/#/reproducibility-initiative)が2012年に米国で設立されています(Science 337:1031)。この組織は、論文原稿の著者から追試実験が依頼されると、その実施を“advisory board”メンバーの所属研究機関に委託します。実験結果が再現されれば「認定証」が与えられ、さらに創業当時にはほぼ無条件でPLoS ONEに掲載されることになっていました(現在は少し事情が異なるようです)。もちろんこれには費用がかかり、当初では、その研究全体に要した額の1割を著者が支払うと説明されていました。この仕組みがうまく働けば再現性の問題は解決されるのでしょうが、費用だけでなく、研究成果が漏洩される可能性や発表時期が遅れてしまうという課題もあります。今のところ、このような煩雑なステップを投稿条件に盛り込むジャーナルは出てきていないようです。

 

実験科学の学術論文が成り立つ最低要件は、「適切な実験手法」、「結果の再現性」、「正当な結果提示」、及び「適切な結果分析」です。論文原稿を審査する過程でも、これらのすべてが満たされていることを判定するのは容易ではありません。ましてや、“偽りの記述”を見抜くのは至難の業です。さらに、上述した対策にも限界があるでしょう。学術論文の不正防止は、研究を実施して論文を発表する者自身の倫理感を高めることにつきると思われます。

 

次号ではジャーナルに投稿された論文原稿の審査について考えます。

 

2014年5月

中西義信